リーダーシップは天性のもの?リーダーは育てられるのか?
本当にリーダーシップは天性のものなのか?
よく、リーダーシップは天性のものであり、育てようとして育つものじゃないといわれます。
本当にそうでしょうか?
私も以前は、リーダーシップは天性のもので、誰でもリーダーになれるものではないと思っていました。リーダーになれるのは、ごく限られた人だけで、ほんの一部の人だけだろうと思っていました。
どうしてそう思ったのかというと、学生の頃など、クラスの先頭に立つ子というのは限られていましたし、とても自分にはできそうにないと思ったからです。できそうにないだけではなく、やりたいとも思わなかったので、そのような役が回ってきそうな気配がしたら、逃げる!
逃げるは恥だが役に立つといいますからね。
確かに、逃げていると、そういう役が回ってこなくなったりします。ところが、年齢を重ねるにつれて、そんなことをいっていられない状況が訪れます。就職して数年もたつと、まずは現場のリーダー的な役割を担うことになります。
「お前もそろそろ中堅だからな」
そんな上司の言葉に少し疑問を感じつつも、リーダーなどをやることになってしまいます。そこから逃げるというのは、なかなか難しい。業務上の命令ですからね。そこから逃げるのには、逆に相当な覚悟が必要です。だとしたらやるしかない。。。
努力すれば、それなりのリーダーにはなれる
で、実際にやってみると、すべてが順風満帆ではありませんが、まあそこそこできました。課題はたくさんあったと思いますが、初心者リーダーとしては、まあまあやれていたと思います。
でも、その代わり、それなりに努力もしたんです。
- リーダーというのは、どう振る舞えばいいのだろう?
- こんなときは、どうしたらいいのだろう?
- 何度いっても変わらないけど、どうしたらいいんだろう?
- あのときあんなこと言ったのは失敗だったけど、どうしたらよかったんだろう?
- 年上のメンバーには、どう話せばいいんだろう?
などなど、それまでとは違う役割をまっとうするためにどうしたらいいのか、相当考えましたし、本を読んだりもしました。先輩に相談したりもしました。
そして、そこで学んだことを実際にやってみて、少しずつうまくできるように努力していったのです。
すると、パーフェクトではないものの、それなりにはうまく回っていきました。チームワークもよく、雰囲気もよかったし、やることもやって成果も出ていたし、まあまあよかったと思います。
自画自賛みたいに聞こえるかもしれませんが、元々リーダーなど人の上に立ったり、先頭に立って何かやったりするのが苦手な私にしてみたら、それでも大したことなんです。
その後も、気がついたら、プロジェクトリーダーをやることになっていたり、○○長を任されたりしました。やりたくもないし、それが得意でもないんですが、断れない状況で、やるしかないのでやりました。
その都度、どうしたらいいんだろうといろいろ悩みました。
そのときそのときで、メンバーも違うし、やるべきことも違うし、人数も違うし、男女比とか年齢構成も違うし、その都度その都度、どうしたらうまくチームをまとめられるのか、とても悩みました。
でも、悩みながらも何とかやってきて、それなりにできていたと思います。もちろん、すべてがうまくいっているわけではありませんが、全体としてはまあまあできただろうと思います。
またまた自画自賛みたいになっているのですが、決して自慢したいのではありません。
私でもやればできる!
そういいたいだけです。
「私でも」というのは、子どもの頃から引っ込み思案で、大人になっても人見知りで、チームの先頭に立つよりも後ろからひっそりとついていくのが好きで、とてもリーダーには向いているとは思えない、そんな「私でも」ということです。
本人の意思と適切な教育があれば、みんなリーダーになれる
リーダーシップは天性のものなのか?育てられるのか?という話に戻します。
上記のような自分の経験、既存のリーダーシップ研究からの学び、周囲の社長、幹部社員などを観察して得られたことなどを総合的に考えると、リーダーシップというのは決して天性のものではない、というのが私の結論です。
私の場合、しつこいようですが、元々リーダーに向いているとは思えません。適性があるとはとても思えないのです。でも、やらざるを得ない状況に追い込まれて、どうしたらリーダーとしてうまくやれるのかを考え、学び、それを実践したことによって、何とかそれなりにその役をやりきりました。
つまりは、適性はないけど、育てられた(いろいろ学んだ)ことで、リーダーになれたのです。
でも、その反対のケースもあります。
リーダーとしての適性がありそうな人が、失敗してしまうケースです。
たとえば、自ら進んでリーダーになる人が、結果としてうまくチームや組織をまとめているかというと、そうとも限りません。最初は、リーダーとして頼りにされるのですが、徐々に信頼を失って、チームがバラバラになっていくケースを何度も見ました。
この場合、自ら進んでリーダーになろうということは、リーダーとしての適性はあるんだと思います。でも、うまくいかなかったのは、リーダーとしてどうするべきか、どうあるべきかを学ばなかったからだと思います。自己流でチームをまとめようとして、結局、失敗してしまったのです。
つまり、結論としては、適性があればリーダーになれるわけではなく、それなりに努力が必要だということです。反対に、リーダーになるという意思があれば、正しい努力をすれば、リーダーになれるということでもあります。
リーダーになるための正しい努力とは?
そこで私が最近重要だと思うのが、どうすればリーダーになるための正しい努力ができるのか、ということなんです。
リーダーになるための努力って何でしょう?
何が正しいんでしょう?
そこが分からないことが多いのではないでしょうか?
私も、確固たる答えを持っているわけではありません。でも、少しずつ見えてきたようにも思います。
人生と同じで、明確な答えがあるわけではなく、常に勉強なのかもしれません。
でも、それが明らかになれば、世の中に、もっともっと素晴らしいリーダーが増えて、素晴らしいチーム、会社が増えていくだろうと思うのです。
そうなるように、その一助となれるように、これからも日々精進、努力していきたいと思います。